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恵門のお不動様(2)
2003/09/09

私が高校1年生だった時、他の高校の男の子にデートに
誘われた。私はまじめだったから休日なのに制服で会いに
いったのよ。でも眼鏡は恥ずかしかったからかけずに
行ったの。
そのデートの途中で古文の先生とすれ違ったらしいんだけど、
私はそれに全然気がつかなくてね。
翌日その先生に呼び出されてものすごく怒られたの。
何にも悪いことをしていないのにふしだらなやつだって。
それが私はむかついてね、それをきっかけにして古文の
先生と古文の授業が大嫌いになってしまったの(笑)。
だからその先生の授業中はいつもそっぽを向いていて
・・・本当にイヤなやつだった。
大学受験を間近に控えたある日、その先生にまた呼び
出されてこう言われたの。
「お前みたいなやつは大学に合格できても絶対に
卒業させないからな!」って。
私は幼い事から音大を受験するためにずっと勉強して
きていたから、彼のその言葉がとてもショックでね。
でも先生は私と会うたびにそう言うの。
だから私は、大学に合格しても、高校を卒業させて
もらえないなら生きていても意味がないと思ってしま
ったのよ。
でも無理して高校に行かせてくれている両親を思うと
こんなこと、絶対相談ができなくて。
悲しくて悲しくてとにかく一人になりたくて・・・
そのとき、昔友達と歩いた小豆島の遍路道をふと思い出
したの。それがこの道よ。
この道は険しいし、夜は誰も来ないから死ぬには絶好の
場所だと思ったの。
そう、ママはあのとき本当に死のうと思っていたのよ。
それでね、ちょうどこの辺りだと思うんだけど・・・
睡眠薬を一瓶全部飲んだの。
でもね、何故か、夜目が覚めちゃったのよ。
しょうがないから、お遍路さんを泊めてくれる宿で寝かせて
もらって翌朝・・・でも下宿先にはどうしても帰れなくてね・・・
東京の音大に受験に行くって言って出てきちゃったから。
友達の家に泊めてもらったの。でも受験もできない
ならやっぱり生きていても仕方がないと思ってね。
そこでもママは睡眠薬を飲んじゃったの。翌朝、私の
異変に友達とそのお母さんが気がついて病院に運び込まれて
胃洗浄されて目が覚めたの。
そのとき医者に「なぜそこまでして死にたいのか?」
って聞かれてね、仕方なくその理由を話したのよ。
そしたら「今あなたが一番したいことは受験テストを
受けることなんじゃないかな。今からでも遅くない。
東京にテストを受けに行ってきなさい!」って言われたの。
私もそう思った。ボロボロな状態だったけどなんとか
東京に行ってテストを受けて帰ってきたの。
そして大学に合格。
そのころには古文のあの先生の耳にも私が自殺未遂
したという噂が流れていたのね。やばいって思った
んでしょうね。
突然「百人一首を100回書いてきたら許す」って
言われたのよ!もちろん必死で書いたわよ(笑)。
でも卒業式には出なかった。だって1つも楽しい思い出
のない高校生活だったからね。
それからのママは本当に幸せだったわ。大好きな音楽を
毎日学び、パパと出会い、結婚し、あなたを産んで
ピアノを教えて・・・もう幸せいっぱいだった・・・
なのに、私が死にたいと思った時と同じ歳になった
あなたが今、こんなに辛い想いをしている。
それはあのころ、私がここで死ななかったから・・・
なのよね。だからお不動様に聞きたいの。
「なぜ、あなたはあの時、私を死なせてくれなかったの?」
って。でもね、私はお不動様に命を助けていただいた
のよね・・・だとしたらあなたが今こんなに苦しんで
いるのは私がまだお礼参りにきていないから・・・?
もしかしたらそうなのかもしれないね。


母の話が終わるころ、恵門の不動妙が祭られている
やっと神社に着いた。
山の上にあるその神社の中には真っ暗な洞窟があり、
その中にお不動様が祭られている。
私と母は住職にそこで祈祷していただいた。
洞窟いっぱいに響くお経と鐘の音。
お不動様のものすごい顔。
大きな目でこちらを睨みつけている。
母には必要な、目的のある場所なのはわかった。
でも私には何の関係もない。はっきり言って迷惑だった。
母の自己満足のためにこんなところまで連れてこられた
私は終始ムッとしていた。

そんな私の隣で母は涙をぼろぼろを流していた。
滝のようにとはまさにこんな感じなのだろうなと思った。
ギョッとするくらい涙が出るのだ。
母も驚いていた。でもご祈祷が終わるとその涙もぴたりと
止まった。

私はもともと死ぬ気はなかった。死にたいほど辛かった
だけだった。母の本気でそれに気がついた。
だからと言って何かよい変化が起こったわけでもない。
でも小豆島のセピア色の景色に癒されたのは事実だ。
海に囲まれた小さな小さなこの島はまるでタイムスリップ
したかのような場所だ。時間が止まっているような感覚に
陥る。

翌年から私と母は春になると必ず小豆島に行くように
なった。
最初はお不動様にお参りにいくだけだったが、
いつしか、いつもお世話になる住職さんや民宿や旅行中
に知り合った島の人に東京名物と荷物を先に送り
カメラ持参で行くほどの楽しみとなっていた。

最初にお不動さまのところに行った時は「けっ」って
感じだったが、翌年、滝のような涙がこぼれて驚いたのは
私だった。母はもう泣かなかった。
体中の水分がすべて出ていったような感じだった。
ハンカチがびしょびしょになった。心が洗われるというのは
こういうことなのか?と思った。
悲しいわけでも辛いわけでもない。ただただ涙が出るのだ。

だが母と同じで、ご祈祷が終わると涙はぴたりと止まった。
とても不思議な体験だった。

あれから3年後に行った時、私はまだまだ過食に
翻弄される日々を送っていた。
だが以前の自分と比べると驚くほど、いろんなことが
できるようになってきていた。
母は「3年前に、私は自分のお礼参りをちゃんと済ませ、
あなたが元気になるようにお願いしたの。だから今年は
そのお礼をちゃんとしておかなくちゃ」と言った。
母の目から見た私はもう摂食障害に悩む子ではなかった
のだろう。
当時の私はまだまだ「お礼参り」なんて気になれなかったが
その頃から、困ったことがある時だけお不動様のことを
思いだし、お札に向かって拝むようになった。
その後も幾度となくスランプに陥ったが、なんとか
それらを乗り越えてこれたのはもしかしたらお不動様の
お陰かもしれない。
そう思い込んでいるだけ!と言われればそれまでの話だし、
実はすがれるものならなんでもよかったのかもしれない。
それが太陽でも月でも星でもご先祖さまでも。
でも私の場合は、自分はお不動様に守られているのだと
信じること=自分を信じることにつながっている気もする。

いつか、私も自分が体験してきたことを息子たちに
話すときがくるかもしれない。そのときは彼らと一緒に
お遍路道を歩きたい。

2003/09/09
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