これで治る!?(2)
昔の我が家は職人業が光る総檜の実にすばらしい家だった。
だがつくりがめちゃくちゃ変で、お風呂は一度家を出て、
地下に降りていかなくてはならず、台所はそんなお風呂の
真上に作られていた。この一体は霊感のない人でも
息苦しさを感じるような、気の巡りがすごく悪い空間だった。
誰が言い出しっぺか忘れたが、ある日、古くて汚くて
すきま風のひどい台所を改造しようということになった。
母は地鎮祭とまではいかずとも、台所の神様に許しをもらって
から改造した方が良いと思った。
だが戦争で我が子を亡くし、神も仏もない!!と言って
仏壇を焼き捨てた祖父母にはそれを言うことができなかった。
早速大工が来て、今まで2つあった窓を壁にしすきま風の
入ってこないきれいな台所ができあがった。
だがその日を機に我が家の雰囲気は少しずつ変わっていって
しまった。
最初は祖父だった。散歩の途中に転んで大腿骨を骨折して
しまい、入院。
それから半月後、今度は祖母が祖父の面会の帰り道、
タクシーにぶつかり、なんと祖父と全く同じ場所を骨折。
祖父と同じ病院に入院してしまった。
それからまた半年後、壁にちょっとぶつけただけなのに
弟が腕を骨折してしまった。
私も両親も「次は誰の番?」と思った。かなーり怖かった。
いつ帰ってきても必ず鍵が開いていて、誰かしら出迎えて
くれた我が家は、この3つの不幸によって、いつ帰って
きても暗く、誰も出迎えてくれぬ家となった。
私が拒食症になったのは、勉強に依存し始めたのは
ちょうどこのころからだった。一家団欒のひとときが
なくなった為、私が痩せていく姿に誰も気づかなかった。
拒食症と診断されてからは、両親は名医を捜し、私を
いろんなところに連れて行った。
だけど治らない。そうこうしているうちに過食症へ。
我が家は家庭崩壊寸前となる。心底疲れ果てた父が
あやうく宗教に縋りそうになった。でも治らない。
何をどうしても一向にトンネルの出口が見えてこない。
ふと、母は思った。
自分が自殺しようとした時、助けて頂いたお不動様にまだ
お礼参りをしていないことを。
台所を大改造したのに、台所の神様に参拝していないことを。
この2つの神様の元に行ってお参りができたら、なにか
変わるのではないかと。
別にこれといってすることもなかった私はいいよと返事を
した。そして母と二人で古峰神社に参拝に行った。
参拝の目的を聞いていたこともあり、参拝の後は私も
少し気持ちが楽になれた。
そしたら途端に過食をしなくなったのよ!!!
・・・・なーんて話だったらすごいよね~~(苦笑)。
でもそんなことはなく、やっぱり過食は続いた。
就職もしない。留学もしない。なんにもできない、しない
自分が嫌でしょうがなかった。痩せたいと思えば思うほど
太っていく。もう東京は嫌だ。誰も知らないところで一から
やり直したい。
ふと以前断食をしに行った伊豆のとある保養所を思い出した。
もう断食をする気は全くないが、水の合う伊豆で、あの
保養所にまた行きたいと思った。
そこで早速駄目元でその保養所に電話。
「働きたいのですが・・・」
「今、ちょうど人手が足りなくて困っていたのよ。是非
来てください」
なんか不思議な感じがした。あまりにとんとんと話が
進んでしまったから。でもその後、私はすぐに伊豆高原に
行き、その保養所の厨房で1年間働いた。
親元を離れて働いたこの1年間で私は大きく大きく成長した。