どこに出るかの違い
ダイエット、食事、買い物、アルコール、恋愛、引きこもり、
セックス、ギャンブル、仕事、運動、エステなどなど。
本人が楽しい♪と思える範囲での行動ならば、
これらはどれもストレス解消であり、趣味であり、
自分を癒すものだろう。
でもどれか1つにのめり込み、依存し過ぎていくと
それに反比例しながら、それ以外の楽しみへの関心度は
減っていく。
生活がその依存行為中心のものへと変わっていく。
それでもそんな自分が好きならば、楽しいならば問題はない。
でもそれが生活の障害になって苦しんでいるならば
心になにか問題を抱えているからかもしれない。
依存的行為と気持ちは、鶏と卵みたいなもんで
最初こそ依存的行為がきっかけだが、段々どっちが先なのか
分からなくなってくる。
例えば過食で落ち込んで何もできないくなってしまったから
また過食するのか。
落ち込んで何もできなくなって過食してしまったから
また落ち込んで何もできなくなるのか。
今の時代、楽しめることはどんなものでも依存症となり得る
気がする。そしてそれを人知れず、人に言えず
悩んでいる人たちが沢山いる。
今朝の朝日新聞に「アダルトニキビに悩む女性」について
掲載されていた。吹き出の多い顔を気にして
仕事や友達に会いにいけず、会っても素直に楽しめず
それがストレスとなり、更に吹き出物が増す。
いくら薬を飲んでも治療しても治らない。
治らない焦りと苛立ちがまた吹き出物を増やす。
体重だけじゃない。体型だけじゃない。
皮膚炎、吹き出物、シミ、ほくろ、アザ、顔のパーツの悩み、
喘息、髪の毛の薄さ、傷、やけどの痕などなど。
どれも悩んでいる人にとっては深刻な問題だ。
摂食障害者のようにストレスを心で受けて体を痛める人と、
吹き出物のようにストレスを体で受けて心を痛める人。
どちらも同じ。どちらも辛い。
比べることなんてできない。
誰が何を気にしているかなんて分からない。
だからこそ、他人にも自分にも優しくいたい。
完璧な人なんていない。でも誰だって欲はあるはず。
自分がすごく気にしていることを、全然気にしていない
人たちが周りにいたら、やっぱり「なんで私だけ・・・」って
思うだろうし、その場にいるのが辛くなると思う。
今の自分でも「ま、いっか」と思えるようになる為には
やはり「こんなの要らない!」と思える部分を抱っこしたまま、
そんな自分でもできることを、したいことを
勇気を出して1つずつしていくことが大切なんじゃないかと
思った。
こんな自分でも、気になることが沢山有る自分でも
できることがあれば、したいことがあれば、きっときっと
「こんな自分じゃ駄目だ!」じゃなくて
「こんな自分でも・・・ま、いっか」と思えるようになって
いけると思う。
そう思えるようになったら悪者は悪者ではなくなってくる。
好きにはなれないだろう。
でも許せるようになっていく。
楽しみが新たに増えてくれば、依存的行為もまた昔のように
楽しみの1つへと戻っていく。
だから多少のストレスもまたこれらに癒されていくように
なれる。
私もまだまだ自分の体にも心にも嫌な部分が沢山ある。
でもこいつらと絶交しようとすると、何故か更に嫌な部分が
増えてしまう。だからしょうがない。
なるべく仲良く付合っていこうと思う。
その方がいいことがやっと分かった。
そうするためにはどうしたらいいのかよく分からないとしても
仲良くしていこう。こう願うだけでもベクトルは
そっちに向いていけるはず。