8月のひとこと
連日の猛暑のせいか、歳のせいか、最近いろんなことがどんどんいい加減になっていく気がしてちょっと怖いです^^;
摂食障害に悩んでいた頃の私にとって、「適当」とか「いい加減」という言葉や感覚は絶対に許せない不快なものでした。私だけじゃなく、摂食障害に悩む人は「完璧でなければダメ(愛されない)」という思い込みが強い方が多いように思います。「ふつうになりたい」と言いながらも、ふつうの「曖昧」の不安定さに耐えられず、結局○か×かの判断をしてしまいます。常に「完璧でなければ嫌われる」という恐怖心を抱いています。だから一歩外に出たらいつも気を張って良い自分を演じます。でもそれは本来の自分らしさではないため、心身共にストレスを感じ疲れ続ける毎日です。
自分で作った厳しいルールやイメージからちょっとでも逸れた言動があると、「なんて私はダメな人間なんだろう」と落ち込み、自責の念に駆られます。でも、他人からしたら「あなたのどこがダメなの?」ってことだらけだったりします。
私のカウンセリングにいらしてくださる方もみなさんそうです。「できて当たり前」「できなければ最低」この2つの選択しかない方がとても多いです。また、「自分のことが大嫌い」「誉められるところなんて1つもない!」と言い切る方もいます。かくいう私も渦中にいたころはそうでした。
そんな私がなぜ摂食障害を克服できたのか。それは、ダメな自分でもできることを1つずつ増やしていったからだと思います。「もうこの自分(ダメな自分)で一生生きていくしかないんだな」と心の底から強く絶望し、治ることを諦めたその日から、私の言動は大きく変わり始めました。ダメな自分でもできることをしていくしかないからです。どんなに些細なことでもいい。とにかくダメな自分でも生きてはいる。そんな自分でもできていること、できること、したいことは何かを真面目に考え、それらを行動・意識・自覚するようにしました。
小さなことでも、ちょっとでもできたなら「ま、いっか」。意外と良く出来た気がしたら「すごいじゃん」と評価し、それらを貴重な「成功体験」としてとらえました。もしできなかったり、思うような結果にならなかったときは落ちこみながらも「そんなこともあるさ」としました。すると、ダメな自分でも会える人、続く仕事、楽しめること、ホッとできる場所が少しずつ増えてゆきました。
あるとき、「自分はなんてダメなヤツなんだ!」と私が思っていたから私は「ダメな自分」だったんだと気づきました。それからは「自分はなんてダメなヤツなんだ!」と思ったときは「ダメなときもあるよ」と言い方を変えました。そういう言い方を意識してするようにしていたら、完璧な自分じゃなくても「ま、いっか」と心から思えるようになりました。
どんなに小さなことでもできたらしっかり評価する意識を持つこと。これは、嫌なことがあったり、疲れている時ほど面倒臭かったしイヤだったけど、でもそうしました。今日は何にもしたくない、できない・・・という時は、「そんな日は誰だってあるよ」でもいいし、「でも顔は洗えたじゃん!」「犬のえさはちゃんとあげられたじゃん!」でもいい。とにかくダメな自分=そんなにダメじゃないかもよ?と疑う気持ちを持ち続けて癖にしたら、ダメな自分=完璧ではないけど、最低でもないと思う気持ちになりました。
摂食障害の症状が酷い頃は「私は何をやってもダメ。最低最悪の人間!」が口癖でしたが、今は「全然ダメじゃなかったのに・・・」と当時の自分に申し訳なく思います。
どんなことでもいいです。今のあなたがちょっとでも、楽しい!嬉しい!ホッとした!感動した!と感じたことは「 成功体験 」として少しずつ「失敗体験」の上に積み重ねていってください。そうすれば必ず、安心するひとときが増え、摂食障害という自制依存の必要性がなくなり、心が解放されてゆきます。
2014年8月3日
摂食障害専門カウンセリング あや相談室主宰
摂食障害カウンセラー 長谷川あや